あなたの知らないかばちゃんの1日

フットサル選手(修行中)の椛島出海(かばしまいずみ)の日記

12月10日 #411

どうも、かばちゃんです。

 

午前中に市役所にフットサルクリニックの後援申請を提出してきた。12月も1月もたくさんの子どもたちにフットサルの魅力を伝えられるように頑張るぞ。

 

『21Lessons』をやっと読み終わった。ナナメ読みをする俺でも3日かかった。本当にまわりくどく書く人だな〜って思う(笑)この本はこれから俺たちが生きていくためのヒントになる本だと思う。読み応えはたっぷりだが、読む価値はあった。これが最後のメモ。

私たちはぞっとするような「ポスト・トゥルース」の新時代に生きており、どちらを見ても嘘と作り事ばかりだと、近頃繰り返し言われている
もし今がポスト・トゥルースの時代ならば、いったいいつが、のどかな真実の時代だったのか?
実際には、人間は常にポスト・トゥルースの時代を生きていた
ホモサピエンスポスト・トゥルースの種であり、その力は虚構を作り出し、それを信じることにかかっている
協力を強固なものにするために虚構を使ったのは、古代の宗教だけではない。時代が下ってからは、各国が独自の国家の神話を創り出す一方、共産主義ファシズム自由主義のようや運動は、手の込んだ自己強化型の信条を作り上げた
宗教やイデオロギーに加えて、営利企業も虚構とフェイクニュースに頼っている
実際、人々を団結させる点では、偽りの物語のほうが真実よりも本質的な強みを持っている
虚構と現実の境界をぼやかす目的は「娯楽」に始まり、果ては「生存」まで、さまざまだ
人間には、知っていると同時に知らないでいるという、驚くべき才能がある
虚構が重要なこの世界で、詩人や画家や劇作家は、少なくとも兵士や技術者と同じくらい重要だ
痛みは痛みであり、恐れは恐れであり、愛は愛だ
未来は映画で目にするものとは違う
人類は前代未聞の革命に直面しており、私たちの昔ながらのの物語はみな崩れかけ、その代わりとなる新しい物語は、今のところ一つも現れていない
変化だけが唯一不変
今日、未来の予測はかつてないほど難しくなっている
現在、情報を詰め込むことに重点を置いている学校が多過ぎる
多くの教育の専門家が学校方針を転換し、教えるべきだと主張している4つのC
Critical thinking (批判的思考)
Communication (コミュニケーション)
Collaboration (協働)
Creativity (創造性)
学校は専門的な技能に重点を置かず、汎用性のある生活技能を重視するべきだ
努力する必要がある。自分は何者か、そして、人生に何を望むかを知るために。
人生は物語ではない
物語は二つの条件を満たしさえすれば、私の人生に意味を与えることができる
私になんらかの役割を与えること
優れた物語は無限の彼方まで続く必要はないが、私の地平の外まで続いていること
人の心をつかむ物語はたいてい、結論を出さずじまいにしている
物語は純粋な虚構でありながら、それでも私にアイデンティティを提供し、自分の人生には意味があると感じさせることができる
犠牲は、自分が真剣であることを恋人に納得させる方法であるだけでなく、本当に恋をしていることを自分に納得させる方法でもある
犠牲は物語に対する人々の信頼を強めるだけではなく、物語への他のあらゆる義務の代わりとなることも多い
人は様々なアイデンティティをを持つ。アイデンティティの一つひとつに義務が伴う
人間の自由と創造性は、自由主義の物語が想像しているようなものではない
もし「自由意志」をという言葉を、自分が欲することをする自由という意味で使うなら、たしかに人間には自由意志がある。だが、「自由意志」という言葉を自分が欲することを選ぶ自由という意味で使うなら、人間には自由意志はない
人類が直面している大きな疑問は、「人生の意味は何か?」ではなく、「どうやったら苦しみから逃れるか?」だ
私たちは、虚構と真実を見分けるのが大の苦手だ
ひたすら観察せよ
あと数年あるいは数十年は、私たちにはまだ選択の余地が残されている。努力をすれば、私たちは自分が本当は何者なのかを、依然としてじっくり吟味することができる。だが、この機会を活用したければ、今すぐそうするしかないのだ。

 

これと一緒に中田敦彦YouTube大学で『サピエンス全史』の授業を聞いてたら余計理解できた。サピエンス全史で言われている。「認知革命」や「生命工学」とかを理解できればこの本はさらに面白くなるんだと思った。時間があるときに『ホモ・デウス』を読んでみようと思う。

 

本のメモ載せると字数増えすぎて読みにくいとかないかな?どうなんだろう。不満があったらみんな伝えてくれるか(笑)

 

 

きょうはこのへんで