あなたの知らないかばちゃんの1日

フットサル選手(修行中)の椛島出海(かばしまいずみ)の日記

12月16日 #417

どうも、かばちゃんです。

 

ツイートもしたけど『ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー』を読み終わった。この本は俺の価値観を変えるものだった。まず、イギリスの実際の考え方や風土や人の様子を知ることで、イギリスに対する価値観が変わった。人種差別のようなことは思ったよりも残っているのかも。多様性についても深く考えさせられた。叔母がアメリカに住んでいるから海外に対しては寛容なほうだとは思うんだけど、ほかの人はどんなふうに思っているんだろうね。海外に対する偏見、宗教や人種に対する差別が実はあるんじゃないかなって思うと少し怖くなったりする。本の中に「多様性はない方が楽」っていう言葉が出てくる。その言葉は自分の心の中に深く刻み込まれた。それでも多様性を認め合う社会にしていきたい。フットサルのようなマイナースポーツが愛されるようにしていくことも多様性の1つなんじゃないかなって思った。これが今回読んだメモ。

「でも、ほんとは『ぼくはチンキーでホワイトで、ちょっとブルー』のほうがよかったよね」
地雷だらけの多様性ワールド
「すごく、人を仲間外れにするようなタイトル」
2人の関係で不可思議なのは、息子はまったく日本語ができないし、親父もまったく英語が喋れないのに、なぜかコミュニケーションが取れているということである
日本語と英語で絶妙なシンクロを見せていることがあり、そんなときは傍で聞いているこちらのほうが笑ってしまう
PM2.5が飛んでいることより、日本経済が中国に抜かれることより、自分が生まれた国の人が言った言葉を息子に訳してあげられないことのほうが、わたしにはよっぽど悲しかった。
結婚の平等を嫌う人々もいる
「じゃあ母ちゃんって、聖母マリアなの?」
移民にしても全員が英国の教育や考え方に賛同するからこの国に来ているわけではないのである
ふと、見上げれば師匠アニーの目の色と同じブルーグレーの空が私たちを静かに見下ろしている
「いじめられてもいじめられても、絶対に学校を休まないって、ちょっとすごいと思う」
「いまはどっちかっていうとグリーン」

 

指導者として教えたり、中学生と一緒にプレーをするときには単純明快でわかりやすく伝えるように工夫している。本質っていうのをもっと理解させていきたい。本質っていうのはシンプルだから。それをいかにうまく伝えるかは、その人の力量になってくる。自分の指導が上手いと思ったことは一度もない。まだまだ成長していきたい。

 

Twitterの運用方法はまだ試行錯誤中だ。相互フォローをやってみてるけど、もしかしたら嫌な人もたくさんいるかもしれない。それでもやっていくしかない。やると決めた以上やり切る。試行錯誤している俺のことを暖かく見守ってくれるとありがたいな。

 

 

きょうはこのへんで

 

12月15日 #416

どうも、かばちゃんです。

 

朝からU12の関西リーグに帯同してきた。結果は2勝1敗。1敗がダメだ。負け方も、自分たちが底辺でミスしたのが原因。ゴール前でのミスが失点につながることをもっと理解させないといけない。オフェンスに関してはワンツーについて言った。相手のプレッシャーの強度によってワンツーの角度を変えること、「相手のプレッシャーが弱かったらナナメからヨコのワンツー、相手のプレッシャーが強かったらヨコからナナメのワンツーをしろよ」って伝えたら一気にプレーが変わった。ある程度のデュアリダ(二人組)はできるのであとはその精度を上げていくだけだと思う。パスをもらう角度の甘さ、一つ一つのプレーの精度やメンタル面で課題があるので、そこをもっと成長させていってあげたいなって思う。

勝負甘いっていうのは自分がそうだから。自分が勝負強くなっていかないといけない。一回のチャンスをモノにする。たった一回しかないチャンスを掴まないと未来はない。自分が成長することが他の人にもいい影響を与えることにつながることを信じている。

 

試合から帰ってきて家で小休憩してからアルバイト。きょうも楽しんで働くことができた。アルバイトは労働時間を売る形態だから、フットサル選手として活躍するためにはなるべくしないほうがいいと思う。でも最近は、なってみたい職業ならやってみてもいいんじゃないかって思うようになっている。昔から、「うどん屋さん」と「パン屋さん」と「本屋さん」にはなってみたかった。なってみたい職業になってみるのは人生を豊かにすることにつながるからいいんじゃないかな。疲労とのバランスをうまく取れるならやってみてもいいのかも。

 

バイト終わりにジムいって筋トレ。自分のトレーニングをできる時間が夜にしかなかった。全日で負けてから心の甘さが行動にでることがわかった。だから毎日ジムにいくことにした。ジムにいって筋トレやコンディショニングトレーニングを行う。俺はそんなに強い人間じゃないけど、意思力と行動力には自信がある。その強みを活かすために毎日ジムいく。怪我だけしないように頑張っていきたい。

 

 

きょうはこのへんで

12月14日 #415

どうも、かばちゃんです。

 

昨日は京都府フットサルリーグ一部の試合だった。対戦相手はMalasanita futsal club。今年は全日で対戦した。結果は9−1で勝利。

 

立ち上がりすぐにパラレラで相手を振り切った味方の折り返しを決めて1−0となり、その後も味方が得点。結局前半は3−1で折り返した。正直相手との差があった。そりゃ練習量も違うし、普段対戦しているレベルも違うから。だからもっと得点しないといけなかった。自分たちとの差を見せないといけなかった。前半は盛り上がりに欠けるプレーをしてしまった。勝ってたんだけど、不満があるなかベンチに戻っていった。ハーフタイムにみんなで「見にきてくれている人が楽しめるような試合にしよう」と話をした。

後半は、全員攻撃全員守備で相手を崩しきって得点するシーンが増えた。「初めからそれやれ」って言われた。その通りだな。自分たちで盛り上げきれないところが甘さなのか若さなのがわからないが経験不足、実力不足って感じがする。伸び代だね。

後半は自分のミスが増えてしまうシーンがあった。自分の我を出しすぎて「点取りたい」っと思った結果のプレー。自分の我を出しすぎるとうまくいかないことが多い。でも、切羽詰まった状況では個人の力が重要になってくる。「個」で打開するのも「チーム」で崩すプレーもバランスが大事なんだなって思う。チームの勝利を最優先に考えないといけない。それが「自分だけ」いい思いをすればいいっていうふうになってしまっていたからミスが増えたんだと思う。自分をコントロールしていいプレーを増やしていきたい。

今回の試合は2ゴール2アシストだった。数字だけみると活躍しているのかもしれないが、個人的には不満だ。ダブルスコアにしないといけなかった。ダブルスコアにできるくらいの差があった。もっと得点しないといけない。チャンスを外しすぎた。全然足りない。勝負強くならないと生きていけない。結局試合を決めきる選手が一番重宝される。そんなプレイヤーになる。

 

 

きょうはこのへんで

12月13日 #414

どうも、かばちゃんです。

 

運動サプリ教室だった。今年ラストの運動サプリ教室。全員集合だった。今日も楽しく運動できた。運動というよりかは遊んでいるだけなのかもしれないけど(笑)子どもは走り回ることが好きだ。そこに判断の要素をいれていけたらもっと成長できると思う。また来年も楽しく運動していこう。

 

終わってからジム行ってスタバで読書。今日から『ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー』という本を読み出した。この本はイギリス人と結婚してイギリスに住む保育士とその息子の話なんだけど、イギリスの実態とその中で生きる人たちとの話がリアルに描かれている。だってノンフィクションだから。本当にあった話だからリアルに決まってる。リアルだからこそ、心にグッと刺さることがたくさんあった。イギリスへの価値観も変わった。これが今回のメモ。

「老人はすべてを信じる。中年はすべてを疑う。若者はすべてを知っている」と言ったのはオスカー・ワイルドだが、これに付け加えるなら「子どもはすべてにぶち当たる」になるだろうか。
「音楽とかダンスとか、子どもたちがしたがることができる環境を整えて、思い切りさせる方針に切り替えたら、なぜか学業の成績まで上がってきたんだって」
いい歳をして反抗的でいい加減なわたしとは違い、彼は10歳でも分別のあるしっかりとした人間だった。なにしろ、優秀で真面目なカトリックの小学校で生徒会長をしていた子どもである。基本的に「いい子」なのだ。
「あそこの学校は白人労働者階級の子どもが多いので避けるべき」
ノートの端に小さく体をすぼめて息を潜めているような筆跡だった。
ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー
英国の幼児教育施設は演劇的な指導を日々の保育に取り入れている
「そんなの卑怯じゃん。自分より弱いと分かってるからちょっかい出すなんて」
「いや、頭が悪いってことと無知ってことは違うから。知らないことは、知るときが来れば、その人は無知ではなくなる」
人種差別の話をする相手は、白人の父親ではなく、東洋人の母親だと思っているのだ
「ダニエルと僕は、最大のエネミーになるか、親友になるかのどちらかだと思う。得意なことが似ているからね」
「自分たちが正しいと集団で思い込むと、人間はクレイジーになるからね」
「万国の万引きたちよ、団結せよ」
多様性ってやつは物事をややこしくするし、喧嘩や衝突が絶えないし、そりゃないほうが楽よ」「楽じゃないものがどうしていいの?」「楽ばっかりしていると、無知になるから」
「無理やりどれかを一つ選べという風潮が、ここ数年、なんだか強くなっていますが、それは物事を悪くしているとしか僕には思えません」
誰かの靴を履いてみること
エンパシーについて学ぶ
善意は頼りにならないかもしれないけど、でも、あるよね」
善意はエンパシーと繋がっている気がした
庶民とエスタブリッシュメントの間には超えられない高い壁が聳えているのである
この国の緊縮財政は教育者をソーシャルワーカーにしてしまった
「ティムも母ちゃんと一緒で花粉症なんだよね。晴れた日はつらそう。」

 

原田コーチのnoteが発売されたので読んだ。ガットの歴史は自分の歴史でもあるが、それ以前のことを詳しく聞いたことはなかった。ここまで来るのにかかった苦労。俺はその苦労が吹っ飛ぶようなプレーをしないといけない。夢ができたのも原田コーチと出会えたからだ。明日は試合だ。原田コーチは仕事で来れないけど絶対勝つ。勝たないといけない。

 

 

きょうはこのへんで
 

12月12日 #413

どうも、かばちゃんです。

 

きょうは1日禿吉さんの有料noteを買って読んでみた。何冊もSNSのマネタイズの有料noteを買って読んでみているが、やっぱり圧倒的にフォロワー数が必要であることがわかった。顔出ししている俺と相互フォローの企画は相性が悪いのかもしれない。でも、これから影響力を増やしていくためには何が何でもたくさんの人と繋がっていかないといけない。ということで40人くらいの相互フォロー企画に参加してみた。無事自分のフォロワーは増えて、900人を突破することができた。

プレゼント企画を開催する。プレゼントを定期的に行うことには3つの理由がある。1つ目は、誰かにプレゼントすることで、もらった人が嬉しい。2つ目が、プレゼントをすることで喜んでる人の感想を聞くのが嬉しい。3つ目が、新しいフォロワーの獲得。

フットサルは日本ではマイナースポーツだから「認知度」を上げていかないといけない。マイナースポーツなので、そんなにサッカー選手や野球選手みたいに叩かれることは少ないと思う。マイナースポーツっていうのを逆手にとってツイッターでマネタイズしている人たちとどんどん繋がっていきたいと思っている。前から俺のことをフォローしてくれている人には不愉快かもしれないが、それは許してとしか言いようがない。俺の試行錯誤を応援してくれることを祈る。

 

『妻が綺麗過ぎる。』の本を読んだ。この人たちはTikTokYouTubeで活躍している人たちだ。俺もYouTubeを見まくっていたときに見つけた。「へーこんな人たちいるんだ〜」と知ってたくらいだった。本屋に行ったらその人たちの馴れ初めとか恋愛感について書かれた本があったので購入。読んでみた。大切なことが何個も書いてあった。俺も「好き」の感情を大切にしていきたいと思った。本のメモはこちら。

「僕、これ今、仕事のメールとかも気にならないくらい楽しいんだな」

口から零れ出る「綺麗だね」

夢は周りの人を幸せにすること

予算を考えずデートしてた→そのくらい好きってこと

優しさには2種類ある

無責任な優しさ
責任をもった優しさ
お互いに相手の「嫌な事」をしないは矛盾する

嫌を分け会えるか

約束は何があっても不変だから意味がある

夫婦として生きていくには仕事、お金の価値観を合わせる事が大切だと思った

「稼ぐお金の量=人に幸せや満足を与えた量」

嘘の代償は意外と高い

2人の出した結論「好きだから一緒に生きよう」

 

 

きょうはこのへんで

 

 

12月11日 #412

どうも、かばちゃんです。

 

朝から筋トレ、読書、ブログの執筆と充実した生活。自分の頭の中でやることリストを作ってそれを実行していく日々。毎日同じことやってるけど、それが自分の成長につながるんだと思う。本を読んでいたら、「習慣が人を作る」ことを知った。じゃあ俺がいつもやっている習慣をどんどんアップデートしていったらきっと人生がもっとよくなる。これからも継続していく。俺は自分の魅力が「継続できること」っていうことを知っている。だからこれからもどんどん続けて行こうと思う。

 

最近Twitterのツイートの量を増やしているんだけど、それはわざと行なっている。フットサル選手で1番影響力があるのは森岡薫ではなく、中井健介だ。彼はYouTubeとオンラインサロンで今一番影響力があると思う。共感を生むストーリー、Twitterのフォロワーの数が圧倒的だ。見習う部分は徹底的に見習う。今年のTwitterの目標がフォロワー1000人だった。あと128人だ。プレゼント企画をやってから伸び率が急激だ。あと20日でなんとか達成したい。なんかいける気がする。というかいってみせる。

 

今日読んだ本は『「いいね」を購入につなげる 短パン社長の稼ぎ方』。これからどういう風に物やサービスを売っていけばいいかはっきりわかった。「かばちゃんが売るなら買う!」とか「かばちゃんの試合は必ず見に行く!」っていう風にさせていきたいと思う。もっと人間力上げていかないといけないな。これが今回のメモ。

中小メーカーはセレクトショップがお客さん。そのお店のオーナーや店長さんに「こんな商品が出ます」というDMを送り、展示会を開いて実際に商品を手に取って見てもらい、注文してもらったものを納品するというビジネス
毎月手紙「短パン通信」を送っていた
短パン通信では、近況報告、日々のあれこれ、普段会ったこと、食事で使用した店を地図付きで載せたりした
手紙でお役立ち情報を発信
パロディでDMを作っていくようにした
「オレは別に全国の洋服屋さんにうちの商品を扱ってもらおうと思っていないし、オレのことを好きだと言ってくれる人がお客さんだ」
SNSは手紙」という気づき
「デザインが決まった」とか、「生地が上がってきた」といった製作過程を逐一フェイスブックに投稿していった
ビジネスというのは、奇をてらうものではなく、お客さんという友達から「あなたがつくってくれたモノだったら私買うわ」と、そういうところから始まるもの
「あの人が売っているから買う」「あの人がつくっているから買う」
「着る」だけではなく、洗い方、保管方法まで伝えてこそ人は買う
関係性ができたら売り方とか関係なくなる(なんでも買ってくれるようになる)
「人の魅力で売る」
「売れたらいいな」で始めよう

「お客さんは会社名も店名も覚えていないんだ。覚えているのは人なんだ。」
購入動機は「人」が決めて
似合わない人には服を売らない
SNSは手段。目的はお客さんと関係性をつくること
「顔が見えているか」が大事
コミュニティを自然と作っていた
手紙には、お役立ち情報
正直が信頼を生み、信頼が共感を生む

オンデーズの〇〇さんではなく、〇〇さんのオンデーズになろう。」
同じことを何度言ってもいい
自分の商品・サービスを愛しているか
愛情を注いでも見返りは求めない
ネットは毎日発信できる
自分が言ったことがきっかけになって、その人が行動を起こしてくれたらなと、そういう喜びが講演とかセミナーをやる上でのモチベーションだから、そこにやりがいを感じられなくなっていったからやめるという結論になった
この人のこういう言葉にすごく共感して、どう思ったか、何を考えたかを文章に書くことにしている
「自分の言いたいこと」を投稿することこそ、「個を発信する」こと
リスペクトがあればパロディもOK

 

 

今日はこのへんで

12月10日 #411

どうも、かばちゃんです。

 

午前中に市役所にフットサルクリニックの後援申請を提出してきた。12月も1月もたくさんの子どもたちにフットサルの魅力を伝えられるように頑張るぞ。

 

『21Lessons』をやっと読み終わった。ナナメ読みをする俺でも3日かかった。本当にまわりくどく書く人だな〜って思う(笑)この本はこれから俺たちが生きていくためのヒントになる本だと思う。読み応えはたっぷりだが、読む価値はあった。これが最後のメモ。

私たちはぞっとするような「ポスト・トゥルース」の新時代に生きており、どちらを見ても嘘と作り事ばかりだと、近頃繰り返し言われている
もし今がポスト・トゥルースの時代ならば、いったいいつが、のどかな真実の時代だったのか?
実際には、人間は常にポスト・トゥルースの時代を生きていた
ホモサピエンスポスト・トゥルースの種であり、その力は虚構を作り出し、それを信じることにかかっている
協力を強固なものにするために虚構を使ったのは、古代の宗教だけではない。時代が下ってからは、各国が独自の国家の神話を創り出す一方、共産主義ファシズム自由主義のようや運動は、手の込んだ自己強化型の信条を作り上げた
宗教やイデオロギーに加えて、営利企業も虚構とフェイクニュースに頼っている
実際、人々を団結させる点では、偽りの物語のほうが真実よりも本質的な強みを持っている
虚構と現実の境界をぼやかす目的は「娯楽」に始まり、果ては「生存」まで、さまざまだ
人間には、知っていると同時に知らないでいるという、驚くべき才能がある
虚構が重要なこの世界で、詩人や画家や劇作家は、少なくとも兵士や技術者と同じくらい重要だ
痛みは痛みであり、恐れは恐れであり、愛は愛だ
未来は映画で目にするものとは違う
人類は前代未聞の革命に直面しており、私たちの昔ながらのの物語はみな崩れかけ、その代わりとなる新しい物語は、今のところ一つも現れていない
変化だけが唯一不変
今日、未来の予測はかつてないほど難しくなっている
現在、情報を詰め込むことに重点を置いている学校が多過ぎる
多くの教育の専門家が学校方針を転換し、教えるべきだと主張している4つのC
Critical thinking (批判的思考)
Communication (コミュニケーション)
Collaboration (協働)
Creativity (創造性)
学校は専門的な技能に重点を置かず、汎用性のある生活技能を重視するべきだ
努力する必要がある。自分は何者か、そして、人生に何を望むかを知るために。
人生は物語ではない
物語は二つの条件を満たしさえすれば、私の人生に意味を与えることができる
私になんらかの役割を与えること
優れた物語は無限の彼方まで続く必要はないが、私の地平の外まで続いていること
人の心をつかむ物語はたいてい、結論を出さずじまいにしている
物語は純粋な虚構でありながら、それでも私にアイデンティティを提供し、自分の人生には意味があると感じさせることができる
犠牲は、自分が真剣であることを恋人に納得させる方法であるだけでなく、本当に恋をしていることを自分に納得させる方法でもある
犠牲は物語に対する人々の信頼を強めるだけではなく、物語への他のあらゆる義務の代わりとなることも多い
人は様々なアイデンティティをを持つ。アイデンティティの一つひとつに義務が伴う
人間の自由と創造性は、自由主義の物語が想像しているようなものではない
もし「自由意志」をという言葉を、自分が欲することをする自由という意味で使うなら、たしかに人間には自由意志がある。だが、「自由意志」という言葉を自分が欲することを選ぶ自由という意味で使うなら、人間には自由意志はない
人類が直面している大きな疑問は、「人生の意味は何か?」ではなく、「どうやったら苦しみから逃れるか?」だ
私たちは、虚構と真実を見分けるのが大の苦手だ
ひたすら観察せよ
あと数年あるいは数十年は、私たちにはまだ選択の余地が残されている。努力をすれば、私たちは自分が本当は何者なのかを、依然としてじっくり吟味することができる。だが、この機会を活用したければ、今すぐそうするしかないのだ。

 

これと一緒に中田敦彦YouTube大学で『サピエンス全史』の授業を聞いてたら余計理解できた。サピエンス全史で言われている。「認知革命」や「生命工学」とかを理解できればこの本はさらに面白くなるんだと思った。時間があるときに『ホモ・デウス』を読んでみようと思う。

 

本のメモ載せると字数増えすぎて読みにくいとかないかな?どうなんだろう。不満があったらみんな伝えてくれるか(笑)

 

 

きょうはこのへんで